「UCC BLACK 無糖」のスペシャルコンテンツ「先駆達のストーリー」にてトミタ・ジュンが紹介されました。2008-2009
トミタ・ジュン、40歳。
さまざまな顔をもつ“デザイナー”は生活の多方面でその顔を見せる。ある時はデスク上、コンパクトかつ収納力満点のペン立て「ペンタワー」で。
またある時は居室で、伝言機能付きの目覚まし時計「レノ」といったアイテムの、プロダクトデザイナーとして。建築家として慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスのインテリアや家具で、あるいはモダンなデザイン住宅、デザインマンションでトミタ氏は現れる。オリジナルのフォントを考案したり、アパレルブランドのロゴを生みだしたりと、その活躍は多岐にわたる。「いろいろ作れるというのがボクの特技なんです」と話すトミタ氏の幼少の頃から19歳での渡米、そして海外で創作活動をする中で芽生えた「日本」への思いなどを、インターナショナルな体験から芽生えた「モノ作り」の先駆者としてあますことなく語っていただいた。
先駆者からの助言、目標が叶うコツ
やってみなくちゃ、分からないよ
□ご出身は京都ですよね?
お祖父さんが京都の四条富小路にたち吉という陶器屋をやっていました。江戸時代の貴族の屋敷を改造した家で、前庭、中庭、坪庭に渡り廊下や蔵がある広い家でした。まだ、その頃は京都も古い建物が残っていて、その家の2階からは市内が見渡せる感じでした。祇園祭りの時などは、「飾り」に配られるチマキをそこでキャッチしたことなどを覚えています。
□京都で育った事は「モノ作り」に影響を与えていますか?
知らないうちに与えているかもそれませんね。幼い頃からお寺を探検するのが好きで、庭園を見て一人和んでいました。
□よく行かれたお寺、お好きなお庭はありますか?
家の近所にあった円通寺ですかね。あそこのお寺は比叡山の借景が素晴らしい。また、庭は毎回行っても印象が違うのがいいですね。龍安寺はいつ行ってもものすごく混んでいるから落ち着かなくて。
□「造形物」でお好きなモノはありますか?
日本の彫刻が好きです。中宮寺の弥勒菩薩、六波羅蜜寺の空也像、運慶、快慶の作品などは、正直言ってミケランジェロも真っ青ではないでしょうか。
□俗にいう「青春時代」は何をして過ごしたのですか?
父親に連れていかれたジャズクラブで、ギターに惹かれて、そこで弾いていた人に習うことになったんです。それと、高校では写真部にも入って、カメラも始めました。あとは映画です。カタカタ音のする8mmフィルムで撮ったものを自分で繋いで、出演してくれた仲間と音入れしたりして。それを学園祭で上映したら大受けで、これは面白いなと。今もそうなのですが、やってみて面白いのかどうかが僕の最初の評価基準です 。
□それらのなかでいちばんハマったものというと?
映画ですね。ジム・ジャームッシュの映画が好きで『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『パーマネント・バケーション』とかを何度も見たりしました。それで、映画監督になりたい、行くならジャームッシュの出たNYU(ニューヨーク大学)だと思って、いろいろと資料を取り寄せたり、英語を勉強したりしました。
□で、実際に受験して入学するわけですよね? できそうでいて、 なかなかできない行動ですが?
両親に相談しても「行ってこい!」というし、自分としても試してみたいと思っていたので、渡りに船でした。まぁ、とりあえずやってみようの気分でニューヨークへ行きましたね。ただ、実際に入学して、映画の授業を聞いてみると、これがよくわらない。英語はすでにできたのですが、なんだコレは? という感じ。クラスメートと話していても、何を喋っているかわからないんです。あまりに映画に詳しいマニアばかりだったんです。たまたま会った日本人の先輩に映画学科に行きたいと言ったら「君ぐらいの知識なら辞めたほうがいい。映画をナメるな」と言われて。どうしようかなと思っていた時に、アートの授業に出てみるとこれが面白かったんです。世界的なアナトミー(解剖学)の権威のアレックス・グレーやモダンアートのジョン・カッシーレとかが教えていて、授業も面白かったんです。これだ!と思って、まだ専門過程に行く前だったので、すぐにアート学部に変えてしまって。
□いきなりの方向転換ですね。
構図や、コンセプトを極めるというところでは映画と同じだったんです。
アートのほうが、よりパーソナルで、コンセプチュアルですけどね。それで、授業に出たあとはひたすらギャラリーなどに絵や彫刻を見に行ってました。本当に毎週「見倒す」ぐらいでしたね。NYは、その点でモダンアートから古典までいくらでもありますから。 で、さんざん見た後やってみたらできたんですよ。
□それはトミタ氏だからですよね。卒業後は世界的な建築家のエミリオ・アンバース氏の事務所に入るのですが、なにかきっかけはあったのですか?
大学から近かったんですよ(笑)。でもホントは建築の本とか読み込んでて、是非出会いたい人だったんです。面接に行って「ボクを採用しないか」と言ったら入っちゃた感じです。
□・・・。聞くとめちゃくちゃな気がするんですが?
まあ、ほとんどは中退するNYUを卒業しているし、アートの基礎もできている。エミリオは日本でもいろいろ仕事をしていたから、さらに日本語もできる、というのが理由かなと思っています。
□働いてみるといかがでしたか?
めちゃくちゃ重宝されましたよ。模型作りからやらされたんですが、器用なんで、いい模型を作るんですよ(笑)。アート学科だからエアブラシかけるのもお手のものだし、図面や絵も描ける。エミリオさんはいろんな仕事を掛け持ちしていたから、スタッフからも「ウチのデザインも手伝って」って呼ばれて取り合い状態でした。何でもそうなのですが、やってみなくちゃ分からないんです。エミリオさんの所では、そのままいてもよかったなと思うほど、かわいがってもらいましたよ。エミリオは発想の師として常にリスペクトしていますね。
?後編?
「映画監督になる!」と思って入学したニューヨーク大学での「感性への刺激」をステップにして、アートおよび、プロダクトを作るかたちになったトミタさん。しかし、学んだ知識を生かして務めた世界的な権威のデザイン事務所では、その体験を生かして貴重なスタッフとして活躍。「未来」も見える仕事ぶりをするようになっていた。しかし、トミタさんは、その後、(またも)予定調和的な道を外れ、自ら新しい道へと突き進んでいく。海外からも認められる「ジャパン発信のデザイン」という険しい道へと歩んでいくトミタさんの帰国後の歩みを追った。
□スタッフからも尊敬される、自分でも思い描いていたデザインの仕事もできる。さらに師匠とも呼べるエミリオ・アンバースさんからも右腕として重用される??そんな恵まれた環境の事務所を2年半ほどでお辞めになりますが。
そうなんですよね・・。なんか大学時代から思っていたのですが、日本は経済的には成長していて、NYでもロックフェラービルを三菱が買ったり、有名な絵画を落札したりしていたんですが、デザインとかアートについてオリジナリティやパワーがない、と思っていたんです。
□ちょうどその頃日本はバブル景気でしたよね?
そうですね。それで、バブルが弾けると今度は一転してこれらを手放したり、イミテーションのデザインのものが溢れ出したりした。向こうの友人にも「日本のデザインの個性ってどこにあるの」とか絶えず聞かれたりしてたんです。だからボクがエミリオのデザイン事務所でがんばっても、それはあくまでエミリオの仕事の肉付けでしかないし、日本人のデザインパフォーマンスで評価されているというわけではないと思ったんです。それだったら日本ベースで仕事をして、日本からデザインを発信するほうがいいのかなと思って。
□6年ほどのNY滞在でしたが、いちばん学んだことはなんでしたか?
デザインに関していえば、アートについての基本が学べたし、世界観を肌で感じられたことがいちばん大きかったです。世界中からいろんな人が集まって、それこそ毎日、デザインで凌ぎを削っているわけですから。また、そういうなかにいると、逆に自分が日本人だということをすごく強く意識しましたね。必ず聞かれるわけですよ、「日本だったらどうなんだ?」みたいなことを。属性というかバックグラウンドがあってこそデザインがあるという意識を彼らはすごく持っているので、歴史なり脈々と続いているものを見つめないと、いいデザインは生まれないと思ったんです。
□帰国後に作られたアクアブロックはアメリカIDアニュアルデザインデビュー最優秀賞に輝き、さらに古巣NYの五番街のギャラリーでもディスプレーされましたが?
うれしかったというより、いい意味で肩の力が抜けました。必死で賞を追い掛けなくても、自分が考えるデザインを作っていけば、きちんと認めてもらえるんだと感じました。これもまたそうなのですが、応募してみたら一番良い賞を頂けたんですよ。
□今見ると、スタッキングされたペットボトルの集合体、というのがその後作られた「ペンタワー」にも通じるデザイン性を感じます。
ボクとしては無の美学というか、もともと家具のない空間で暮らしてきた日本人にとって、ミニマリズムの意識は諸外国と比べても高いんではないかというのが原点にあります。それと、たたみとかお重とか同じユニットのものを展開していくのが日本のプロダクトの特徴だと思うんです。「規律の美」みたいなものを日本人は強く持っているんではないですか。なんか箱のなかにきれいに並べたり、お重のなかで美しく料理を並べるのが日本人は好きですよね。ボクが京都生まれなのもあるかもしれないですが。
□その後はプロダクトに限らずに、大学のキャンパスや六本木のバーの内装や家具を手掛けたり、アパレルブランドのロゴやオリジナルフォントを作るなど活動範囲が広がっています。御自身では仕事の「棲みわけ」などは意識しているのですか?
いろいろ作れるのがボクの特技なんで(笑)。ただ、デザインを核にして、多くの人に役立てる仕事がしたいんです。それを考えた時に、手掛けるのが、プロダクトだったり、建築だったりするだけと思っています。個人的にはミケランジェロを尊敬しているので、彼のように画家だったり彫刻家だったり、建築家だったりになれればいいな、と。
□今後手掛けたいと思っているお仕事は?
今、日本を代表する12人の建築家の方にそれぞれがデザインしたカップ&ソーサーを作っていただいたんです。日本にはむかしから「おもてなし」という文化があると思うのですが、それをカップで表現することで、デザインと文化融合をはかりたいんです。ある意味、日本という場所をキーワードにしたプロデユース活動です。多くの人に日本デザインの魅力を再認識してもらえればいいなと思っています。
※インタビューの後日に開催された東京デザイナーズウィーク2007では「12人の建築家がデザインした12のカップ&ソーサー」をプロデュースし、またデザイナーとしてもカリム・ラシッドと共にカップ&ソーサーを出展されました。
?結び?
まずはやってみる事だ、と語るトミタ・ジュンさんは世界を前にしても臆さない。
徹底してモノを見続け、そして創り続けるトミタさんの好奇心は衰えを知らない。
ニューヨークで知った世界基準を目の当たりにしても、ひるまない。
詳細なる「美」に囲まれて育った男の、「侍」の潔さにつながるデザイン観は、トミタ・ジュンさんのアンビバレントな魅力。
挑戦し続ける男トミタ・ジュンはこれからも自らの世界観をデザイン・建築に投影する。
PROFILE プロフィール
トミタ・ジュン
アティモント代表 / 建築家・デザイナー / 一級建築士
慶應義塾大学SFC研究所 所員
1967年京都生まれ。老舗陶器店、たち吉の家庭に生まれ、父の富田仁秀は元たち吉社長で仁和寺(世界遺産)の御用達陶芸家。19歳で渡米、ニューヨーク大学アート学科(NYU)で学ぶ。卒業後、緑との共生を唱えるグリーン建築で世界的な建築家、エミリオ・アンバースに師事し多くの建築プロジェクトに参画。96年ペットボトル「アクアブロック」でアメリカの最も権威ある賞、IDデザインのグランプリ受賞。99年には潟Aティモント・デザイン研究所を設立。建築のみならず、プロダクト、グラフィックなど幅広い分野で活躍しているほか、慶應義塾大学などでもデザイン教育に携わっている。BACK TO TOP